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東京地方裁判所 平成5年(ワ)10715号 判決 1995年9月25日

原告

伊原秀松

右訴訟代理人弁護士

松井繁明

宮原哲朗

被告

国民金融公庫

右代表者総裁

平沢貞昭

右訴訟代理人弁護士

渡辺修

冨田武夫

主文

一  被告は、原告に対し、金三一万八四五〇円及びこれに対する平成四年三月末日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は、原告に対して、金一六四万九三五五円及びうち金一四七万六六〇円につき平成四年三月末日より、うち金一七万八六九五円につき同年五月末日より支払済みまでそれぞれ年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、原告が、被告に雇用されてその業務役の職務に従事していた平成三年五月から平成四年六月までの間、合計二八〇時間余りの時間外労働をしたとして、その時間外勤務手当の支払いを請求している事案である。

二  争いのない事実等

1  被告は、国民金融公庫法により設立された特殊法人である。

原告は、平成二年四月一日当時、被告の従業員であり、被告千住支店(以下「千住支店」という)の業務役(平成四年七月一日に「上席業務役」と名称変更。以下一括して「業務役」という)の地位にあり、以後、平成四年七月一九日に原告が被告を定年退職をするまでその地位にあった。

2  被告における職員の労働日における勤務時間は、午前八時五五分から午後五時一五分までであり、うち正午から午後一時までが休憩時間であった。

3  被告においては、従前、業務役の地位にある従業員については、労働基準法四一条二号所定の「管理・監督職」に該当するとして、時間外労働に対して時間外手当を支給していなかったものであるが、平成五年三月ころ、静岡県労働基準監督局管内の静岡、浜松及び沼津各労働基準監督署から同県内の被告の各支店に対し、業務役についても時間外手当を支給すべき旨の指導が行われ、以後、被告においては、業務役についても時間外手当を支給するようになった。

4  被告における時間外手当算出の基礎となる賃金は、本俸、役職手当及び特別都市手当(本俸及び役職手当の合計額の四パーセント)であり、年間所定労働時間は一八一一時間である。

したがって、一時間あたりの賃金額の算出式は次のとおりである。

(本俸の月額+役職手当の月額)×一・〇四×一二÷一八一一

5  原告の平成三年度(平成三年四月一日から平成四年三月三一日まで)の賃金は、二等級一三六号俸として、合計六七万二二七五円(本俸金六四万九二七五円、役職手当金二万三〇〇〇円)であり、原告の平成三年度の一時間当たりの賃金は次の計算式により金四六三二円になる(小数点以下は切捨て)。

六七万二二七五×一・〇四×一二÷一八一一=四六三二

6  被告における時間外勤務手当の計算方法は、平成三年度の場合、次のとおりである。

四六三二(円)×一・二五×(時間外勤務時間)

7  被告は、原告が業務役として被告に在職中、原告に対して時間外手当を支払ったことはない。

三  主たる争点

1  原告が、在職中に、主張の時間外労働をしたことがあるか。

2  被告における「業務役」は労働基準法四一条二号に該当する労働者といえるか。

四  当事者の主張の要旨

(原告)

1 原告在職中の「業務役」は、労働基準法四一条二号所定の労動者には該当せず、したがって被告はその時間外労働に対し時間外手当を支給すべき義務があった。

2 原告は、平成三年五月から平成四年七月まで、毎月別表一記載の時間外労働を行っており、このうち別表二に記載の時間外労働に関する時間外手当を請求する。

3 原告の平成三年度の一時間当たりの賃金は金四六三二円であり(前記二5のとおり)、平成四年度(平成四年四月一日以降)のそれは、二等級一三六号俸として合計六八万九五八二円(本俸六六万五六八二円、役職手当二万三九〇〇円)で、同年度の一時間当たりの賃金は次の計算式により金四七五二円になる(小数点以下は切捨て)。

六八万九五八二×一・〇四×一二÷一八一一=四七五二

4 原告は前記のとおり、少なくとも、<1>平成三年五月から平成四年三月まで二五四時間、<2>平成四年四月から六月まで三〇時間五分の時間外勤務をしているから、被告は、原告に対し、次の計算式のとおり、<1>につき金一四七万六六〇円の、<2>につき一七万八六九五円の各時間外手当の支払い義務がある(小数点以下は切捨て)。その合計は金一六四万九三五五円である。

<1> 四六三二×一・二五×二五四=一四七万六六〇

<2> 四七五二×一・二五×(三〇+六〇分の五)=一七万八六九五

(被告)

1 原告が主張の時間外勤務をしたという事実については全面的に否認する。

なお、時間外手当の算出方法は、平成三年度のものは認めるが、原告主張の平成四年度のものについては正しくない。被告において、給与改訂前の時間外勤務手当は改訂前の給与を基に計算する。原告は平成四年度の給与改訂前である平成四年七月一九日付けで定年退職しており、その時間外勤務手当については改訂前の平成三年度の本俸、役職手当を基に計算すべきである。

2 被告の「業務役」の地位が労働基準法四一条二号所定の労働者に該当しないとの原告の主張については争う。

第三争点に対する判断

一  千住支店における原告の職務の内容等

争いのない事実及び括弧内記載の証拠によれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和二六年四月一日に被告に採用され、平成元年三月二〇日に被告仙台支店総務課長から千住支店(以下「千住支店」という)の調査役(支店付)に転属され、同年七月一九日に業務役となり、平成四年七月一日に上席業務役となった後、同年七月一九日に定年(六〇歳)により被告を退職した(<証拠・人証略>)。

2  原告が本件で超過勤務手当を請求している期間(以下「本件当時」という)の千住支店は、石原芳昭支店長(以下「石原支店長」という)、新濃健次長(以下「新濃次長」という)以下約四〇名の従業員がおり、組織は、総務課、融資第一課、融資第二課及び業務課に分かれ、総務課には契約係、恩給係、庶務係、委託業務係及び出納係の五つの係があった。

原告は本件当時、総務課に属しており、同課において、岩見昭次総務課長(以下「岩見総務課長」という)に次ぐ役職者の地位にあった。

(<証拠・人証略>)

3  被告において業務役ないしは上席業務役の役職は、直属の長を補佐することを職務とする調査役の一種であり、その職務内容は、規程上は「秘書役、考査役、部長、副部長又は支店長がとくに命じた事項」を担当し、「高度の専門的な知識又は経験を必要とする事務を担当する者」とされており、うち二等級以下の者が業務役とされていた(平成四年七月一日からは、二等級の者については上席業務役と呼称されることとなり、二等級であった原告の役職名も変更された。以下でも「業務役」という場合は、この上席業務役を含むものとする)。被告の支店においては一般的に、支店長、次長、課長、調査役という職位の系列があったが、業務役は、一般的には、五七歳を過ぎた職員が就任し、右の本来の系列には属さず、いわばそれを補佐する役割を有していた(<証拠・人証略>)。

4  原告の業務役としての職務は、支店長から総務課長の権限の一部の委任を受けて行う、契約係が作成する書類等の内容の照合と検印(以下「検印業務」という)と、融資先において融資金が目的どおりに使われているかを確認する使途確認業務であり、うち検印業務が業務量の大半の割合を占めていた。使途確認業務については他の職員が行う場合もあり、また、検印業務は通常は原告が一人で担当していたが、原告が不在の場合等は総務課長ないしは次長が担当することも可能であり、実際に原告の代わりに総務課長が検印業務を行ったこともあった。

なお、原告が被告を退職して後は、原告の職務については、岩見総務課長がこれを引き受け、従前の総務課長の職務を含めて一人で担当することになり、新たに原告の後任の者が置かれることはなかった。

(<証拠・人証略>)

5  千住支店の契約係(窓口担当者と後方事務担当者に分かれる)における主な契約事務の内容と、原告の検印業務の具体的内容は以下のとおりである(<証拠・人証略>)。

(一) 融資決定から貸付金交付までの契約事務の概略は、審査部門である融資第二課において、被告への融資申込者に対する審査が終了して融資が決定され、関係書類が同課から総務課契約係へ回付されると、まずコンピューター端末機から「決定情報」の登録事務が行われ、被告事務センターが管理する元帳への登録が完了して後、端末機から借用証書及び送金依頼書と一体となった「ご融資のお知らせ」と題する書面(<証拠略>)が出力される。右書面は申込者に発送され、これにより申込者に融資が決定したこと及び契約手続を行う日時が通知される。右書面を受け取った申込者は、借用証書及び送金依頼書に必要事項を記載して、印鑑証明書及び必要書類とともに、指定の日時に支店に持参する。これを担当者が受け取って所定の事項(契約日を入金予定日にする等)を記入して借用証書を完成させ、端末機から「貸付情報」を登録すると、右端末機から出金伝票、登録内容確認票及び「御融資金のお知らせ」と題する書面が一体となった書面(<証拠略>)が出力される。その後、被告から総合振込明細書(<証拠略>)により取引先の三和銀行千住支店に対し融資金の振込依頼がなされ、同銀行から顧客の口座に貸付金が入金される、というものである。

原告が担当していたのは、このうち、契約係の職員が処理した右借用証書・送金依頼書(<証拠略>)、登録内容確認票・出金伝票(<証拠略>)、総合振込明細書(<証拠略>)等の内容を照合等して検印を押す業務であり、借用証書・送金依頼書については、借用証書の決定条件や借主、連帯保証人の署名押印、印鑑証明の印影との一致、送金依頼書の完備等を照合して検印し、登録内容確認票・出金伝票については、決定条件通りに貸付情報が登録されたかどうかを照合して検印し、振込明細書については、送金依頼書との照合の後に公印を押捺していた。

(二) 千住支店においては、来店した顧客から契約関係書類を受け取ってから二日後(三日目)に貸付金を交付しているのが原則であり、これを三日目融資と呼称している。その日にちごとの通常の経過は以下のとおりである。

一日目は、一般の顧客は午前中に来店するよう通知を受けており、午前中に、窓口担当者が、<1>契約手続に来店した顧客から借用証書等の契約関係書類を受領して点検し、午後に窓口担当者が、<2>右案件にかかる、貸付情報の登録の準備を行い(初回利息払込日、初回割賦金振込年月日等を決定票に記入する)、出来上がり次第逐次原告に書類を回し、書類を受けとった原告は、右<1><2>にかかる点検・検印等を行う。

二日目は、午前中に、後方事務担当者が、(A)貸付情報を端末機から登録し、(B)右案件の貸付金を送金するために、銀行に対する総合振込明細書を作成する。その後、原告が、午前中から午後早い時間帯にかけて、右(A)(B)にかかる点検・検印等を行う。そして、午後三時頃、三和銀行から担当者が来店するので、出納係が翌日貸付の総合振込明細書等を引き渡す。

三日目は、三和銀行千住支店において送金手続がとられ、即日顧客の口座に貸付金が入金される。

証拠(<証拠略>)によれば、千住支店においては、このように、顧客が来店してから二日後(三日目)に貸付金を交付する、いわゆる三日目融資が原則であり、顧客の都合上、一日早い二日目融資を行うことも稀にはあったものの、平成三、四年度における両者の比率では、三日目融資が九九・七パーセントを占めていたことが認められる。

(三) 千住支店における契約係及び原告の、各担当者ごとの一日の主な業務内容は以下のとおりである。

窓口担当者は、午前中に前記(二)<1>の業務を行い、午後は<2>の業務を行うほか、<3>担保設定手続が必要な顧客(平均して一日に二、三件程度)と応対し、顧客と司法書士との間に立ち会い、<4>担保設定案件についての進行管理を行う。

後方担当者は、午前中に前記(二)(A)(B)の事務を行い、午後に、(C)審査部門において貸付が決定した案件について、決定情報を端末機から登録するとともに、前記「ご融資のお知らせ」を端末機から出力し、(D)右書面を顧客に発送する。

原告は、午前中から午後早い時間帯にかけて、後方担当者の(A)(B)の事務にかかる点検・検印を行い、ついで窓口担当者の<1><2>事務にかかる点検・検印を行い、その後、後方事務担当者の(C)の事務にかかる点検・検印及び「ご融資のお知らせ」への公印の押印を行う。右(C)にかかる事務は当日中に終わらない場合には、翌日の午前中に行う場合もあり、右<1><2>にかかる貸付登録の依頼に関する点検・検印についても、その後の後方担当者の事務に支障の生じない限りは、必ずしも全てを当日中に行わなければならないものではなかった。また、午前中には、他に、使途確認事務を行う場合もあった。

なお、原告本人尋問(第一回)の結果中には、本件当時、千住支店においては二日目融資が原則であり、それ故原告の検印業務はいずれも一日目のうちに終えておかねばならなかった、午前中から午後三時ころまでは、契約そのものに関する検印業務は行っていなかった旨言う部分があるが、右供述は、二日目融資を原則とする点において右(二)の認定証拠に反するほか、原告も第二回本人尋問において、返事に困った中で思い浮かんで供述したもので、勘違いであった旨、これを撤回するに至っており、右供述を採用することはできない。

二  被告における従業員の勤務時間管理等について

争いのない事実及び証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の事実が認められる。

1  一般職員について

被告においては、一般職員を含め、出退勤の管理は出勤簿及び年休簿によっており、始業時刻までに出勤したか否か、及び、年休取得の有無とその合計時間(一日か、時間休で何時間か)は右各資料により把握できるが、タイムカードによる勤務時間の管理はなされていなかった。一般職員に対する時間外勤務の命令は、担当課長がその必要性を判断して支店長に具申し、支店長が超過勤務命令書により対象者と時間を特定して命令を出していた。右命令が出される時間帯は、その日の仕事量等の状況にもより、一般には午後二時か三時頃に判断できる場合が多いが、繁忙期にあたり午前中に判断できる場合も、逆に突発事態等により終業時刻直前になる場合もあった。また、右命令は、一時間、二時間といった、一時間単位の時間で出されていた。本件当時、総務課契約係の職員に関しては、岩見総務課長と原告が相談した上で、支店長に対して右の具申を行っていた。

被告においては、従業員に対して、右の勤務命令をした結果は、超過勤務命令簿という形で労働基準監督署等への提出のために保管されることになっているが、本件において、本件当時、一般職員に対してどの程度の超過勤務命令が出されたかを示す客観的資料は、被告側から証拠として提出されてはいない(なお、<人証略>の証言中には、右命令簿の保管期間や証言当時に存在するか否かにつきあいまいに言う部分もあるが、同証人も証言の前に一般職員の残業時間を原告主張の時間と被告主張の残業時間につき比較して調べた旨供述しており、被告側に右一般職員の残業時間を示す資料が存在することは明らかと認められる)。

2  業務役について

業務役についても出勤簿及び年休簿により出退勤の管理を受けていたことは前記1の一般職員の場合と同様である。

本件当時、被告従業員のうち、超過勤務命令書による時間外勤務の命令が出され、時間外手当の支給の対象となっていたのは、副調査役以下の特四等級以下の職員であり、原告を含む調査役以上の職員に対しては、右のような書面による超過勤務の指示は出されていなかった。

平成五年三月以降、業務役の職員に対しても時間外手当が支給されるようになったのはすでに認定したとおりであるが、その後の業務役に対する勤務時間管理の方法は、担当課長が時間外勤務の必要性を判断して支店長にその旨具申し、一般職員と同様に超過勤務命令書により時間外勤務の命令が出されることとなっている。

三  (証拠略)の信用性と原告の時間外労働の有無・程度

原告は、原告が主張のとおりの時間外労働をしたことを裏付ける証拠として、原告の手書きによる記入がなされた平成三、四年度の手帳(<証拠略>。以下「本件手帳」という)を提出するので、その信用性につき以下検討するとともに、原告主張の時間外労働が認められるか否かにつき以下検討する。

1  本件手帳の外観、客観的記載内容等

本件手帳は、被告から各年度ごとに職員に対して支給されるカレンダー式の手帳の平成三年度版と平成四年度版のうち、本件請求にかかる平成三年五月から平成四年七月までの間の部分に各日付ごとの欄に、原告により手書きでメモがなされているものである。そのうち、別表一の「月日」欄に対応する各日の欄内には、「6・30」「7・10」等と、同表の「就業時間」欄中の勤務終了時刻に該当する時間の記載があるほか(右記載のある欄内の箇所は一定しておらず、その記載も、単に「6・30」とあるものや、冒頭に「pm」との記載のあるもの、末尾に「まで」「帰る」等と記載のあるものなど様々である。また、右記載の中には、一度記載した後にそれを訂正したと思われる部分や、そのうちいずれが訂正後のものかの判別が困難なものなども認められる)、「職員1H」「職員2H」等、原告以外の千住支店職員に関する記載や、同支店における会合や行事、原告の勤務内容等につき記載した部分がある。

2  本件手帳についての原告の供述

本件手帳についての作成動機や記入方法等についての原告の供述(原告本人第一回)は、「平成三年度より以前にも同じ手帳を使っており、私的なことではなく、たまに会議等の業務上の記録に使っていた。仙台支店で総務課長をしているときに、帰りが遅くなることが多くなったので、父親(自分)の生きざまを家族にわかってもらうため、いずれ機会があったら見せようと思い、その記録として退社時間を書き入れるようになったものであり、そもそもは残業手当の請求のために付けたものではない。『6・30』『7・10』等の記載(以下「残業時刻メモ」という)は、いずれも自分がその時間までは仕事をしていたという趣旨で一〇分単位で記載したものであり、数分単位以下の端数についてはすべて切り捨てて記載した。本件手帳は千住支店の自分の机の中に入れてあったもので、当日、仕事が終わって一段落してから帰宅する前に職場で記入するのが原則であり、記載が翌日以降になることは少なかった。『職員1H』『職員2H』等とあるのは、いずれも総務課契約係の職員につき、1時間又は2時間の超過勤務命令を出すべく岩見総務課長や石原支店長に対して具申をして、それが認められて職員が残業をした場合の記載であるが、これは契約係の職員が残業した場合のすべてを記載したものではない。平成三、四年度の手帳も当時実際に使っており、裁判所へ提出するために後日作成したものではないし、後から書き直したり付け加えたりしたことはない」というものである。

3  本件手帳の具体的矛盾例

原告は、本件当時、少なくとも本件手帳中の残業時刻メモの記載にある時間は時間外労働をしたと主張しているものであるが、右残業時刻メモの記載中には、以下のとおり、事実とは認められないものがある。

(一) 千住支店の店舗閉鎖後の時間外労働の記載

証拠(<証拠・人証略>)によれば、

本件当時、千住支店の店舗の開閉の管理は、各課の課長及び課付の調査役が担当しており、原告は一切携わっておらず、原告が店舗の鍵を預かって最後に店舗を出るということはなかったこと(この点については、第二回原告本人尋問で原告もこれを認めている)、

店舗(二階建)を閉鎖する際、責任者は、二階、一階の順で、火気点検、全室の消灯、窓やドアの施錠等を行ったうえで、最後に職員通用口の施錠をしたうえで、警備保障会社の警報装置のセットをして、全ての閉鎖手続を完了し(この間の所要時間は五、六分程度である)、右手続の際、責任者は、店舗内に居残った職員が一人もいないのを確認すること、

右の警報装置のセットが行われると、右警備保障会社にその時刻が記録され、仮にその後で誰かが店舗に出入りした場合には、センサーにより異常が感知されて、右警備保障会社がこれを覚知する仕組みになっていること、

別表三の「年月日」欄記載の各日において、店舗閉鎖の責任者及び閉鎖時刻は、同表「支店閉鎖状況」欄記載のとおりであり、右記載の各時刻に右警報装置のセットもされているが、右各セットの時刻後に右警備保障会社がセンサーにより異常を感知したことはなかったこと、

以上の事実が認められるのであり、本件手帳の残業時刻メモによると、別表三の「本件手帳の内容」欄に記載のとおり、右の各日において、原告は、いずれも店舗がすでに閉鎖された後も千住支店に残って残業をしていたことになるが、これは右認定と矛盾するし、また、別表三のうち、平成三年一一月八日、平成四年三月一一日、同月一二日及び同年七月八日については、右認定に加え、本件手帳の残業時刻メモの記載は、以下に認定の事実(証拠は括弧内に記載)とも矛盾することから、これを信用することはできない。すなわち、

(1) 平成三年一一月八日は、千住支店職員の熱海への親睦旅行の予定が立てられており、職員は、同日午後五時一五分の定時に業務を終了し、東京駅一八番ホームに午後六時までに集合し、午後六時二〇分発の列車に乗ることになっており、石原支店長は新濃次長及び岩見総務課長に対し、早めに業務を終えるよう指示しており、当日閉鎖責任者であった岩見総務課長は、前記のとおり午後五時二〇分に店舗を閉鎖したが、その際、原告が定時に業務を終え、他の職員とともに閉鎖前に店舗を退出し、旅行には参加せずに帰宅したのを確認している(<証拠・人証略>)。原告は、この点、同日は、はっきり記憶にないが、電話を受ける等して、残業時刻メモの記載どおり午後五時三〇分まで店舗閉鎖責任者とともに店舗に残っていた旨供述するが(<人証略>)、前記証拠に照らしてたやすく信用できない。

(2) 平成四年三月一一日は、午後六時三〇分から、千住支店近くの寿司店「百万両」において、調査役以上の幹部職員が参加する幹部会の送別会が開催されたことから、千住支店における業務は定時に終了し、当日残業した職員はいなかった(<証拠・人証略>)。この点についても原告は、残業時刻メモの記載のとおり午後七時まで千住支店に残っていたはずで、店舗閉鎖責任者もそれまで残っていたはずである旨供述するが(<人証略>)、前記証拠に照らしてたやすく信用できない。

(3) 同月一二日は、午後六時から、「銀座アスター千住賓館」において、千住支店の職員の送別会が開催されたことから、千住支店における業務は定時に終了しており、当日残業した職員はいなかった(<証拠・人証略>)。この点についても原告は、残業時刻メモ記載のとおり午後七時二〇分まで千住支店に残っていた、店舗閉鎖責任者もそれまで一緒に残っていて、右責任者は送別会には後半になって出た位ではないかと供述するが(<人証略>)、右責任者が、右送別会への参加が遅れるのを承知の上で、原告の残業を容認しつつ、それが終了するまで自らも支店店舗内に留まっていたとは考えにくく、原告の右供述は前記証拠に照らしてたやすく信用できない。

(4) 同年七月八日は、千住支店の職員が参加する親睦団体である厚友会の行事として、東京ドームでの日本ハム対西武ライオンズの野球観戦(午後六時一五分試合開始。原告は不参加)があったため、右試合開始に間に合うよう、千住支店における業務は定時に終了しており、当日残業した職員はいなかった(<証拠・人証略>)。この点について原告は、残業時刻メモ記載のとおり午後六時まで千住支店に残っていた旨供述するが、前記証拠に照らしてたやすく信用できない(同日の残業時刻メモの記載が同年五月一八日以降のものであるという点でも信用できないことは後記(三)認定のとおりである)。

(二) 休暇取得日における時間外労働の記載

証拠(<証拠・人証略>)によれば、被告においては、有給休暇の取得のしかたとしては、一日単位で取得する場合(以下「一日年休」という)と、一時間単位で取得する場合(以下「時間休」という)があり、原告が時間休を取得する場合には、勤務時間の途中に時間休を取得するような取り方はしなかったことが認められる(この点については、原告も第一回本人尋問で自認しており、第二回本人尋問中これを訂正する供述部分は前記証拠に照らしてもたやすく信用できない)。

本件手帳の残業時刻メモ中には、原告が一日年休を取得した日、あるいは時間休を取得して千住支店を退店して後に残業をしたかのような記載のある部分があるが、以下に述べるとおり、これを信用することはできない。

(1) 平成三年一二月四日について

証拠(<証拠・人証略>)によれば、同日の朝、原告は、岩見総務課長に電話で申し出て、一日年休を取得し、その後これを時間休に切り換えることはなく、その日は千住支店に出勤することはなく、原告の検印業務は全て岩見総務課長が代わって処理をしたことが認められる。

この点、同日の残業時刻メモには、午後七時まで残業した旨の記載があり、また、原告は、同日は定年後の就職活動のために休暇を取ったが、午後二時か三時ころに、契約関係の書類が見つからないということで、岩見総務課長か新濃次長から呼び出され、千住支店に赴いた、書類は自分が金庫から見つけ出したが、その後も残って仕事をした旨供述するが(<人証略>)、原告は、当時契約関係書類の保管責任者ではなく、被告において、書類を探すためにあえて休暇を取った原告を呼び出す必要は認められず、むしろ、前記証拠によれば、同日千住支店において、契約関係書類が見つからなかったという事実は認められず、仮に原告が途中からでも出勤して主張の時刻まで残業をしたとするならば、年休を時間休に切り換えるのが本来であるのにその事実もないことなどに照らせば、原告の右供述及び残業時刻メモの右記載を信用することはできない。

(2) 平成三年一二月五日について

証拠(<証拠・人証略>)によれば、同日の朝も、原告は、岩見総務課長に電話で申し出て、一日年休を取得し、その後これを時間休に切り換えることはなく、その日は千住支店に出勤することはなく、原告の検印業務は全て岩見総務課長が代わって処理をしたことが認められる。

この点、同日の残業時刻メモには、午後七時三〇分まで残業した旨の記載があり、また、原告は、同日も再就職活動のために休暇を取ったが、万一書類等が散逸していて事務に滞りがあってもいけないと思って途中から出勤して残業した旨供述するが(<人証略>)、出勤した動機に関する原告の右供述自体があいまいであり、原告が同日の年休を時間休に切り換えたり、岩見課長が引き受けた検印業務を原告がその後代わって担当した事実も認められず、右原告の供述及び残業時刻メモの記載は、前記証拠に照らし、信用することはできない。

(3) 平成四年三月三一日及び同年七月一〇日について

証拠(<証拠・人証略>)によれば、いずれの日の朝も、原告は出勤時刻どおりに出勤しているが、その後二時間の時間休を取得していることが認められる。そして、前記認定のとおり、原告は勤務時間の途中に時間休を取得するような取り方はしておらず、右証拠によれば右両日も同様であり、原告が時間給を取得したのは、いずれも終業時刻にかけての二時間であり、右時間休取得後の当日に原告が再び千住支店に出勤して残業したことはなかったことが認められ、これに反する残業時刻メモの記載及び原告の供述(<人証略>)は信用できない(このうち、平成四年七月一〇日の残業時刻メモの記載は、同年五月一八日以降のものであるという点でも信用できないことは後記(三)認定のとおりである)。

(三) 平成四年五月一八日以降における時間外労働の記載

残業時刻メモによれば、本件当時の平成四年五月一八日以降の日においても、原告が残業をしている旨の記載がある(五月一八日・三五分、同月一九日・四五分、同月二〇日・一時間五分、同月二五日・一時間四五分、六月四日・一時間二五分、同月九日・一時間五分、同月一二日・一時間一五分、同月一九日・一時間二五分、七月八日・四五分、同月一〇日・一時間五分)。しかしながら、以下に認定するとおり(証拠は括弧内記載)、原告が同年五月一八日以降被告において残業をした事実は認められない。

原告は、平成四年五月一八日の午前中、石原支店長に対し、千住支店の支店長室において、「定年退職時の退職金につき、退職金規程の加算条項を適用して加算してほしい。それができないなら、自分はこれまで残業代をもらっておらず、二年間さかのぼって残業代をもらいたい」旨、初めて正式に時間外手当の請求をした。これを聞いた石原支店長は、突然のことに驚いたが、二等級の業務役である原告に対し時間外手当を支払うことはできない旨原告の請求を拒否したうえで、「あなたに頼んで残業はしてもらっていない。これから一切残業をする必要はない」旨原告に対して言った。原告が同所を退出して直後、石原支店長は、新濃次長に申しつけて、課長以上の管理職を同支店一階応接室に招集し、その席で、原告との右やりとりを説明したうえで、今後は一切原告に残業をさせる必要はないということを話し、さらに新濃次長と岩見総務課長に対しては、その後あらためて、もし今後原告が終業時刻後も支店に残っているようなことがあったら残業をさせないようにして、原告の支店退出時刻を記録しておくように申しつけた。原告は、同日午後に四時間の時間休を取り支店を退出し、同日はその後千住支店に戻って来ることはなかった。新濃次長は、翌一九日、原告に対し、「支店長から昨日指示があったと思うけれども、これからは残業する必要はない」旨あらためて指示をした。その後、原告が被告を定年退職する同年七月一九日まで、新濃次長と岩見総務課長は、原告に残業をさせないように注意をしてみるようにし、時間外に検印業務の必要が生じた場合には翌日に行わせるか、岩見総務課長が代わって処理をするようにし、退店時刻については、原告が定時に仕事を終えてそのまま帰るときには記録はせず、五時一五分以降残っている場合には、退店時刻を記録することにしたが、残業以外の理由で退店時刻が定時から一〇分ないし二〇分程度遅くなることはあったものの、残業のために原告が終業時刻以降に千住支店に残ったことはなかった(<証拠・人証略>)。

なお、原告の供述中には、平成四年五月一八日の石原支店長の時間外手当の請求に対する対応は否定的であったが、今後残業する必要はない旨言われた事実はなく、原告の残業を止めさせることは、みんなが仕事をしている組織の状態からしてできなかったはずである、同日時間休をとって足立労基署へ相談に行ったところ、時間外手当の請求につき肯定的な回答を得たため気分がよくなり、そのまま帰るよりは支店長の顔を見てみたいという気になって、午後五時前に支店に戻って午後五時五〇分まで残業した、同月一九日以後も残業時刻メモ記載のとおり残業したが、支店の管理者から残業を止められたことはなかった旨いう部分がある(<人証略>)。

しかしながら、当時業務役である原告への時間外手当の支給につき否定的な態度をとっていた石原支店長やその意を受けた新濃次長や岩見総務課長らが、原告が正式に時間外手当の支給を請求するに至って後も、あえて原告の残業を黙認することは、その後の原告の被告に対する同手当の請求等の活動に利する結果を招来することを認めることとなることからすれば考えにくく、前記一4認定のとおり原告の職務は総務課長等が代行することも可能であり、千住支店において、原告に残業をさせないようにしようと思えばそれは可能であったものと認めることができることからしても、原告の右供述及び残業時刻メモの部分はこれを信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  残業時刻メモによる時間外労働認定の可否

以上のとおりであり、本件当時、原告に対しては、超過勤務命令書による時間管理はなされていなかったものであるが、仮に右書面による超過勤務命令がなされていなくとも、原告が実際に業務上の必要から終業時刻を過ぎても千住支店において就労を続けており、それを管理者である総務課長以上の管理職が黙認しているような状況が認められるならば、原告の時間外手当の請求は認められるべきであるが、そのためには右のとおり時間外労働と認められるべき原告の就労時間が確定できることが必要である。

そこで、本件手帳の残業時刻メモの記載により、原告の右時間外労働の時間を確定できるかを検討するに、残業時刻メモの記載中には、前記3認定のとおり、個別にみて事実とは認められない矛盾例があるほか、以下のとおり、全体とみ(ママ)ても不自然な点が認められる。

すなわち、証拠(<証拠・人証略>)によると、千住支店における本件当時の月別の貸付件数の推移は別表四の一のとおりであり、右件数の多寡が契約係の職員及び原告の業務量にも影響すると認められるところ、本件手帳中には、原告以外の契約係の職員(全員又は一部)が時間外勤務をした旨の記載のある部分があり、右部分による他職員の残業時間を残業時刻メモ部分による原告の残業時間とを対比すると別表四の二及び三のとおりとなり、本件手帳の記載によると、本件当時の一年三か月間における千住支店の営業日数は三〇二日になるところ、そのうち契約係職員が残業した日数は六八日間であり、残業した月も一一月、一二月の年末が多いなど、別表四の一の貸付件数の月別の推移に照応する部分が認められるのに対し、原告の残業した日数は二一〇日間に達しており、その月別の残業日数・残業時間も必ずしも右貸付件数の推移に照応しないなどの点で、全体としても不自然な部分がある。

残業時刻メモの記載がいつの時点でなされたかはさておくとしても、原告の供述によってもそもそもが時間外手当請求のためにつけられたものではなく、タイムカードのような客観的資料とは異なり、その記載自体から直ちに原告の退店時間(残業時間とは異なる)さえ推認できるものではなく、その信用性は慎重に吟味する必要があるところ、結局、本件手帳中の残業時刻メモの記載は、前記3認定のとおりの具体的な矛盾例があるうえに、右認定のとおり全体としても不自然な部分があること、さらには残業時刻メモの客観的記載中にも、一度記載した後にそれを訂正したと思われる部分や、そのうち何れが訂正後のものかの判別が困難なものなど不明確な部分があることなどに照らせば、右残業時刻メモの信用性は全体として低いものと言わざるを得ず、また、前記一認定の原告の職務内容自体からも必ずしも一定の残業時間が生じるのが必然であるとまでは認められないのであって、証拠(<人証略>)により本件当時、原告が終業時刻を過ぎても千住支店において就労し、これを管理者である上司が黙認していた時期があったことは認められるものの、結局右残業時刻メモの記載のみから、右記載どおり、あるいは右記載のうちある部分のみは少なくとも真実であるとして、原告の時間外労働の時間を確定することはできないものという他はなく、右残業時刻メモから直ちに原告の時間外労働時間を認定することはできない。

5  本件手帳中の残業時刻メモ以外の記載部分と原告の時間外労働の認定

次に、本件当時の原告の時間外労働時間につき、本件手帳の残業時刻メモの以外の部分その他の証拠を総合して認定できるか否かを以下で検討する。

本件手帳中には、残業時刻メモ以外にも、前記三1及び2のとおり、「職員1H」「職員2H」等、原告以外の千住支店職員の残業時間に関する記載があり、原告は、右各記載は契約係の職員につき超過勤務命令が出されて右職員が残業をした場合を全てではないが記載したものである旨供述する(<人証略>)ので、まず、契約係職員が少なくとも右に記載のある時間において実際に時間外勤務をしたことが推認できるか否かを検討するに、前記二1のとおり、原告は本件当時、契約係職員に対し超過勤務命令が必要と判断した場合にはその旨を支店長に対して具申する権限を有しており、契約係職員に対する超過勤務命令の事実につき事前、あるいは超過勤務命令書等により事後を通じても把握しうる立場にあったこと、千住支店において職員に対する超過勤務命令は一時間単位で出されていたところ、本件手帳における契約係職員の残業時間の記載も一時間単位のものである点で右事実に一致していること、前記4認定のとおり、本件手帳中の契約係職員の残業時間の記載については、むしろ実際の当時の千住支店の業務量に照応している部分のあることが認められること、前記二1のとおり、被告側には本件当時の千住支店における一般職員の残業時間を明らかにする資料が存在し、仮に本件手帳の右記載に異なる部分があれば容易に反証が可能であると認められるにもかかわらず、被告側からは、被告側の証人である(人証略)の供述中に、本件手帳の右記載部分については、実際の契約係職員の残業の状況とは一致している部分もあればしていない部分もある旨いう部分があるものの、それ以上に右記載部分の契約係職員の残業状況につき特段の反証はなされていないこと、以上の事実が認められるのであり、これらを総合すれば、本件手帳の右記載部分のうち、職員の残業時間が一時間単位で明確に記載されている部分については、少なくともそのとおりに契約係の職員が時間外勤務をしたものと推認することができる(なお、単に「職員残業」とある部分については、最低単位の一時間の超過勤務命令が出されたものと認められ、他方分単位の端数が生じた場合にはこれを切り捨てて認定すべきである)。

そこで次に、右記載の契約係職員の残業状況と、原告の残業時間について検討するに、原告はこの点について、契約係の一般職員が残っている場合には、外出先から直帰したような場合で本件手帳にその旨記載したものを除いては上司として自分も一緒に残って残業をしていた旨供述しているところ(<人証略>)、原告の職務内容は前記一認定のとおりであって、千住支店においてはいわゆる二日目融資は原則としてされておらず、原告の検印業務はすべて当日のうちに終えねばならなかったとはいえないものの、原告の検印業務は契約係職員の事務を受けて行うものであり、契約係職員の扱う事務量が多く、原告に検印のために回ってくる書類の量も多かったり、その時間が遅くなるような場合には、当日処理すべき業務量もそれだけ増えることになり、原告の業務量も契約係職員の業務量の影響を受けることは明らかであると認められるところ、新濃次長も、自分は部下の職員が残業をしていれば、それを見届けた後に帰っていたことのほうが多い旨供述しているように(<人証略>)、少なくとも契約係の職員が全員残業をしている場合については、その時間帯においては上司である原告も千住支店に留まっていたであろうと推認することが可能であり、この点に関する原告の右供述については、契約係の職員が全員残業しているような場合においては一応信用でき、(人証略)の供述中にはこれに反する部分があるが、右認定を覆すには足りず、そのような場合に仮に原告が職員とともに千住支店に留まって勤務すれば、右原告の勤務については、前記3(三)認定の平成四年五月一八日より以前の日であれば、岩見総務課長以上の管理職につき、書面による超過勤務命令を出した事実はないとしても、原告の居残りによる勤務を黙認したであろうとも推認することができる。

そうすると、本件当時の原告主張の時間外労働時間のうち、平成四年五月一七日までの間において、本件手帳中の、当日出勤した契約係職員全員が残業した旨の明確な記載がある時間帯については、それが本件手帳中の他の記載部分とも矛盾がなく(例えば残業時刻メモの記載が職員の残業時間より早いものとなっていたり、原告が職員より先に帰った旨の記載があるような場合は、原告の残業と職員の残業直(ママ)接の関連がない可能性もあり、前記の推認には至らないために除外した。また、右残業が「予算消化のため」との記載があったり、「研修」名目でなされている記載のあるものについても、原告が職員とともに残業をする必然性は認められず、右のような場合で残業時刻メモの記載が職員の残業時間より早くなっているものも認められることを考え合わせても、同様に前記の推認には至らないために除外した)、なおかつ前記3(二)認定のとおり原告がその日に休暇を取得しておりその日に時間外労働をしたとは認められない場合(平成三年一二月四日及び同月五日がこれにあたる)を除いては、その間は原告も時間外労働をしたものと認められる。

右条件を満たしており、原告が時間外労働をしたと認定できるものを整理すると別表五のとおりである(同表「時間外労働をしたと認められる日と労働時間」欄記載の各日につき、括弧内に記載した時間(単位・時間)、午後五時一五分以降の時間外労働を認定したものである)。

五(ママ) 被告における業務役の職位と労基法四一条二号

被告における業務役一般の職位、及び、本件当時の千住支店における原告の業務役としての具体的職務については前記一で認定したとおりであり、被告における業務役の地位は本来の管理職の系列には属さない補佐的な役割を有するにとどまり、原告の場合も、総務課長の権限の一部として検印業務等を行っていたものであるが、労務管理に関する具体的な権限としては、前記二認定のとおり、契約係職員に対する超過勤務命令につき、総務課長とともに支店長に対して具申する権限を有していたことは認められるものの、それ以上に被告の経営方針の決定や労務管理上の指揮権限につき経営者と一体的な立場にあったことを認めるに足りる事実は存在せず、被告における業務役は、前記二認定のとおり、本件当時は超過勤務命令及び時間外手当の支給の対象とはされていなかったものの(その後平成五年三月以降は支給対象となったことは既認定のとおりである)、その他の出退勤の管理については一般職員と同様であったことが認められるのであり、以上に照らせば、被告における業務役の職位が労基法四一条二号にいう「管理・監督者」に該当するとは認められない。

したがって、前記四で認定の本件当時の原告の時間外労働に対しては、被告は時間外勤務手当を支払う義務を有するものというべきである。

六  結論

原告は、前記五認定のとおり、平成三年五月から平成四年三月までの間、合計五五時間の時間外労働をしたものと認められるから、前記第二の二記載の計算式(争いがない)に、右時間外勤務時間を代入して計算すると、次の計算式のとおり、その合計金額は三一万八四五〇円となる。

四六三二(円)×一・二五×五五(時間)=三一万八四五〇(円)

よって、本訴請求は、平成三年度の時間外勤務手当の合計として三一万八四五〇円及びこれに対する遅延損害金を請求する限度で理由があり、その余の請求については理由がない。

(裁判官 佐々木直人)

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